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今回はChase Blissのラインナップから、THERMAEのレビュー記事を書いてみます。THERMAEは2018年リリースの、ラインナップの中では古株のデバイス。実はChase Blissは少し前にラインナップを一新し一部機種は廃番になってしまったのですが、THERMAEはいまだに残り続けているのを見るとこのデバイスの高い人気がわかると思います。
なぜ5年近く前のデバイスを改めてレビューするかというと、ずっと
THERMAEという存在をイマイチ理解できていなかったからなのです。他のChase Bliss同じくプラグインしてすぐに興味深いトーンが飛び出すけど、どういう仕組みかはわからない。こういった奇妙なデバイスには仕事柄たくさん触れてきたし、割りとすぐに仲良くなれると自負してましたが、実態がつかめず少し悔しかった。そしてドキュメントやデモ動画をチェックして、時間を掛けていじくり倒すことで、やっと本当の面白さへ触れられたように感じられました。すべてが解明できたわけではないのですが、少しでもこの高揚を伝えたいと思い、今回レビューを書くことに決めました。
それとChase BlissからThermaeの新しいフィールドガイドがリリースされたのも、腰を据えて向き合うと決めたトピックの一つです。なんせ以前のマニュアルには「TLDR (Too long, Didn't Read)、Knobsのビデオを観てね」なんて書いてあったので笑。新しく用意されたガイドはHabit、Generation Loss mkIIと同じフォーマットで、1ステップずつ丁寧に機能を解説するとてもわかりやすい内容になりました。実用的なセッティング例も載ってるので、沿ってプレイしていくと理解が深まると思います。
THERMAEの新しいフィールドガイド(日本語版)はこちらからどうぞ! 既にユーザーの方にはTHERMAEを一から学ぶ資料として、またTHERMAEを持っていなくても読み物として面白いはず。国内では2022年10月以降の出荷分からこの小冊子(英語版)が付属しています。
https://umbrella-company.jp/manuals/chase-bliss_thermae_manual.pdf
まず導入として理解すべきは、THERMAEとは「アナログディレイである」こと。BBD素子を使った正真正銘のアナログディレイであり、柔らかなリピートが溶けるように劣化し滲む極上のディレイサウンドに圧倒されてしまうはず。デジタルのシミュレーションも最近は「これでいいじゃん」なんて思うくらいイイ線来てますが、やはりホンモノを聴いてしまうと戻れない。
Chase Blissは同じアナログディレイとしてTonal Recallもラインナップしていましたが、単純にディレイサウンドだけで比較しても違いがあります。Tonal RecallはTone回路でリピートの音色を調整するのに対し、Thermaeのローパスフィルターはより音楽的な手触りを持ったシェイピングへ舵を取っています。よりQが強く、シンセサイザーに搭載されたフィルターにも近く感じ、これは後述するピッチシフトしたシーケンスと組み合わせることも見据えているのだと思います。
ローファイで親しみがあるのに、古臭くはない。チリチリとした僅かなノイズが繰り返すごとに溶解し、丸みを帯びていくフィードバックは、デジタルのモデリングでは味わえない「凄み」を備えています。 BBDチップは多くの名機に使われたMN3005を4つ使っており、これらをパーフェクトにデジタル制御することで、タップテンポやプリセット設定、EXPやMIDIへも完全に追従します。正真正銘のアナログディレイサウンドを現代的にコントロールが可能という点だけでも、THERMAEは非常に価値があるデバイスです。 そして、THERMAEの摩訶不思議なトリックは、全てこの「アナログディレイである」ことから始まります。
いくら最高のサウンドとはいえ、トラディショナルなディレイだけなら現代多くの選択肢がありますよね。THERMAEを特別な存在に押し上げるのはピッチシフトとシーケンス機能で、本当の面白さはここから始まります。
アナログディレイを使ったことがあるなら、リピートが残っているときにディレイタイムを変更するとピッチが「ぐにゃん」とうねるのを想像できると思います。THERMAEはその「ぐにゃん」を、完璧に制御することで「ピッチシフター」を名乗っています。
指定のピッチになるようにタイムの変化を完全にデジタル制御し、現在のディレイタイムから瞬間的に変更することでピッチがジャンプさせる。 これは例えば既存のWhammyやPOGといった、ピッチを検出してデジタル変換してシフトを起こすエフェクトとは全く構造が異なります。あくまでもディレイタイムのみが変化することで、完全にアナログな方法でピッチを変化させているのです。質感は非常にウォームかつノイジー、病みつきになるような柔らかさを伴っています。親しみがあって、チャーミングで、心地よい。今まで体験したことのない音楽的なモーメントであると断言できます。
更に変更できるピッチ(タイム)は完全に現在のプレイにハモるように、ノブの変化幅はクオンタイズされています。なのでどんな設定でも必ず現在のフレーズを邪魔しない、寄り添うような音階でピッチがジャンプします。さながらインテリジェントな伴奏者のように、新しいメロディが自動生成されていく。
どんな設定も現在のプレイに追従するようにというコンセプトは、MOODやblooperといったChase Blissの他のラインナップにも共通していて、積極的にノブをいじってほしいという意思表示のようにも感じられます。このレンジが絶妙に気持ちよく、崩壊すること無く風景がどんどん変化していく。 タイムの変更でピッチシフトを起こすため、ピッチ変化はディレイリピートのみに適用されます。そのため一般的な「ピッチシフター」のような、リアルタイムかつ正確なピッチ変化を期待していると面食らってしまうかもしれません。上述の通りどんな設定でも気持ち良いハーモナイズが自動生成されて飛び出すので、プラグインしたらしばらくはTHARMAEに身を任すのが良さそうです。
THERMAEにはディレイタイムを変更するインターバルが2つまで設定できるので、合計3つのディレイタイムが交互に切り替わっていきます。ベーステンポ→インターバル1→インターバル2→ベーステンポ→インターバル1…というように。
この切り替わりの速度は、ベーステンポ(タップテンポで決定されたテンポ)で決まります。ディレイタイムの変更がピッチシフトを起こすため、つまり3ステップのシーケンサーとなるのです。
インターバル1から2のテンポ変化(ピッチ変化)は加算されるため、例えばどちらも-1オクターブにすると、インターバル2では2つが加算されて-2オクターブが鳴るわけです。
そして興味深いのは、アナログディレイであるためタイムの変更でリピートの音質に変化が出てくる点。例えばオクターブ下は相当ディレイタイムを引き伸ばして無理やり達成されているため、ピーやガーといったノイズも音質変化として顔を出します。これがベーステンポに戻ると通常のリピートに戻り、ピッチと音質のジャンプが同時に発生するのがこの上なく気持ち良い。ピッチを上げる=ディレイタイムを短くすると音質はソリッドになり、鳥のさえずりのようなアンビエンスも生み出します。この音質の変化もTHAEMAEで形成される音世界において、重要な位置を占めています。
インターバルどちらかを無効にして2ステップにも変更可能ですが、タイムを3つ切り替える3ステップのピッチシーケンスこそがTHERMAEの醍醐味です。この中途半端な長さが、ベーシックから逸脱したアブストラクトで奇妙な雰囲気へ大きく貢献しています。 このシーケンスはSTEPモードを有効にすることで、任意のタイミングでトリガーすることも出来ます。普段は最高のアナログディレイとしてプレイしつつ、ピッチシフトをアクセントとして自由に織り交ぜるスタイルは、より既存の曲へも取り入れやすいと思います。
ホンモノのアナログリピート、そしてタイムの完全制御によるピッチシフトとシーケンス。これでも勘弁してよというくらいクリエイティブですが、ディレイタイムに更にモジュレーションも付与できてしまいます。
クリーンなリピートに僅かなうねりを加えればテープディレイのように。ランダマイズを加えれば、一部が故障したようなオーガニックな雰囲気に。スクランブルエッグのように混ぜ合わされ、右往左往されるピッチのカオスだってお手の物。
モジュレーション波形のオプション、更にランダムネスも付与可能で波形は合計9種類。一般的なアナログディレイで、ここまでモジュレーションの選択肢が用意されていたことがあったでしょうか?ピッチシフト無しなリピートに加えれば、更に音の可能性が広がります。そしてピッチシフトさせつつモジュレーションさせれば、壊れたコンピュータのようなアブストラクトな雰囲気にも。
各要素は意外とシンプルですが、それらが相互に影響を与え、組み合わさった作り出されるアトモスフィアこそがTHERMAEの真骨頂。アナログでしか成し得ない、暖かく柔らかい手触りを持ったピッチがシーケンスし、ならではの音質劣化を伴って空間に溶けていく。立ち上る湯気の向こうに、有機的な流体のようなサウンドが浮かんでは消えていく。その風景はTHERMAEのネーミングの由来であろう、ローマ時代の公衆浴場から想起される情景と不思議とマッチします。
途方も無いアイディアと世界観。それを実現させるデジタル制御の開発力。両方が全く欠けることなく、これまでにないほどの高水準で混ざりあって誕生したデバイスには、恐ろしいほどの執念と禍々しさまで感じられてしまいます。全てが完璧に動作する音世界を作るために費やされた研究開発の苦労や、4つのBBDチップをシンクさせるチューニングの過程を考えたら、プライスも納得できるかと思います。
Chase Blissは、THERMAEはラインナップ中で最も製造が難しいペダルと語ります。THERMAEを製造するシーンを特集したこのエピソードを見れば、その気の遠くなるような作業の様子がわかると思います。
THERMAEのピッチシフトとシーケンスは、アナログ回路をベースとしているため完全に理解するのは難しいと思います。思いもよらないリズムや音程が飛び出しますが、センスの良いクオンタイズが有効になっているためギリギリで破綻しない。スタンダードから逸脱したアブストラクトな雰囲気は、他に代わるもののない新しいバイブスを提供してくれるはずです。言ってしまえばアンティークなアナログディレイという概念を、ここまで推し進めた例は他にないでしょう。
クリーンで実用的、扱いやすくスタンダードなディレイエフェクトを探しているなら、Thermaeは避けたほうがいいでしょう。ですが貴方が史上最高のホンモノのアナログディレイを探していて、かつノイズや不完全さ、ランダムネスに美しさを見出すことができるなら、きっとThermaeには魅了されるはず。緻密な設計、BBDから発せられるディレイトーンが素晴らしいことは言うまでもなく、そこに21世紀的なこれ以上無い有意義なひねりが加えられています。単純なディレイを超えた、音楽的にインスパイアしてくれるパートナーとまで言っていいと思います。
Chase Blissは現在のラインナップはフルデジタルなペダルが多くなりました。スローガンである「Analog Heart, Digital Brain」はアナログ回路そのものだけでなく、「デジタルでありながらアナログな手触りや質感」といった意味も含まれているのですが、「アナログ回路をデジタル制御」という文脈で捉えるなら、このTHERMAEはそれを最も体現するデバイスと言えます。もはや半ばオールドスクールなBBDチップの、限界までプッシュされた可能性。まさにクリエイティブで野心的なプレイヤーのための、クリエイティブで野心的なエフェクト。他に替え効かない正真正銘の唯一無二なサウンドをお探しなら、ぜひTHERMAEを一度お試しください。